皆様は五月の連休、いかがでした?我が家は、3人の孫に振り回され、みんな青息吐息。それでも、置戸町の「ゆうゆ」という温泉のコテージに行って来ました。大人4人と子供達3人で一泊2万円。厨房設備もしっかり整っていて、他のお客様に気を使わず、お風呂も入り放題・飛び込み放題で、孫達には良い休日でした。
さて、先日の北海道新聞にこんな記事がありました。
「気温や気圧の変化・体調、気分に影響」
低気圧が通過したあと、フェーン現象などで急に気温が上がった時は、車の事故や夫婦ゲンカにご注意くださいというものだ。昔から前線の通過で、リュウマチの痛みがでたり、喘息発作・心筋梗塞・脳溢血・風邪などが起こりやすくなることが知られています。新潟大学の安保教授が、知人の医者が「天気の良い日には重症の虫垂炎患者が増えてゴルフに行けなくなる」というのを聞いて、自分の白血球のリンパ球と顆粒球を調べた。すると低気圧時にはリンパ球が増え、高気圧時には顆粒球が増えた。
顆粒球はお天気が良くなると張り切ってお洗濯するママと一緒で、体内のばい菌を見つけだしてやっつけようと動き出すので、この顆粒球が仕事をしたあとは、処理した証の膿(化膿性炎症)を作るというものだ。だから虫垂炎が動き出すんだね。
さて私のお店では、連休が終わってから、空気の冷たい日・雨の激しい日やらで、冷たい風の日が続いたあと、ほこっと暖かい日が来ると、なにやら風邪をひいたり、膀胱炎の人が多かったり、ここのところ虫歯がうずき出した人たくさんいましたよ。寒暖の差が激しすぎると、自律神経のバランスが崩れ、交感神経が緊張しすぎてると、体調を崩したり精神状態が不安定になってイライラしたりするんだね。
現代人は何かしらのストレスが多いので、バランスをとる、生体防御のゆらぎの幅、と言うか、起きあがりこぶしで言うと、ちょっと突いても元に戻れず倒れちゃう人、ここのところ多いですよ。ゆとりを持つ・ゆっくり寝る・着るものを適切に調整する・体を冷やすものを摂らない、など努力が必要だけど、お薬でも何とかなります。こんな時カトウがお奨めするのは、リラックスする気をながす和漢爽爽(1ケ月分6300円)と免疫を調整する万寿霊茸(1日分525円)などです。なんでも、転ばぬ先の杖。病気が起きてから慌てないようにしたいね。
6月が近づいて、何だかやたらと「父の日」の宣伝が目に付く。そう言えば子供達が巣立ってから、主人にも改めて父の日のプレゼントもしたことないし、今年はちゃんと父の日の感謝をしましょうということかなー。
父は元気な頃お酒が大好きで、私には母に苦労ばかりかけているように見えていたけど、私のことはとても溺愛してくれた。ある日、出汁をとるとき、鰹節を山のように使っている私を見て「あれれ、これではまかたしないわー」ということは、結局(後先考えて使わなきゃいくらお金があってもだめだべさー)ということを言いたかったんだと思う。
そんな父は、30年ほど前の2月、脳溢血であっという間に逝ってしまった。今の私と同じ年齢56歳。もう父と同じ年月だけ生きたという思いだ。その年、葬儀のあと、ずーっと一人置き去りにされたような気持ちになって頑なになっていたのか、涙は不思議と出てこなかった。それなのに父の日になって「もう父はこの世にはいないのだ」という思いが急に突き上げてきて、始めて声を上げてわんわんと泣いた。
その4年後、飛行機の中で隣に座った女の方が1歳だった息子の顔を見て「この子は優しいので友だちに好かれますよ」「えーっ、そんなことわかるんですか?」そのあと「お父さんが中年になったら病気に気を付けてと言っておられますよ」と付け加えた。
前のDMに書いたように、昨年は本当に不思議なことがいっぱいあった。まず元旦に台所の大きなタイルが、ぱらぱらと3枚落ちた。翌日弟子屈に行く道すがら丹頂鶴が大きな羽を広げて7羽か8羽、すれにすれに私たちの車の上を通りすぎた。「吉兆か?」
そして2月の半ば私は福岡のカキエキス・ワタナベオイスターの勉強会の会場にいた。お隣の方が、「釧路からいらしたんですって?仙鳳趾の牡蛎は美味しいですよね」「むむ、仙鳳趾の牡蛎をご存知とはただ者ではない!」果たして仙台にある牡蛎研究所の所長さんだった。思えば父も牡蛎の仕事に携わったことがある。「父も牡蛎の養殖の仕事をしていたことがあるんですよ」「えー、じゃあ知っているかもしれませんね」と言うことで父が亡くなってから30年も経って、九州の地で父を知っている方と隣り合わせになった。そのあと1時間のカキエキスの講演をする予定だった私は、拭いても拭いても出てくる涙を止めることが出来なかった。九州から帰ってきて1ヶ月後、脇下のリンパの腫れにさわって、父の妹が同じような病気で亡くなったことを思い出した。お正月から続いた不思議は、みーんな、父が「治療するべき時が近づいているよー」と、なんとか伝える為の出来事のように思われた。
それから1年間、長かったけど治療を続けて、こうして元気になることが出来た。それでも、治療の途中では副作用が強くて、「もういいかな…」と思えた時期もあった。その時「ただ、味わうのだ」と誰かが言った気がした。父だったのかもしれない。「あきらめてはいけない、ただ今を味わって生きていくのだ」と思った。
先日私の師匠と仰ぐ方が、大病をなされた経緯をある季刊誌に、「体調が悪くなって、病名がわかったとき、何で自分が…と。そしてやっと世間に公表出来たときに始めて、自分の過去・現在・未来を受容できるようになり、それでも受容の大切さをお客様に何度も話していたにもかかわらず、いざ自分の番になると難しいもので5ヵ月もかかった」と書かれておられた。師匠の書かれたものを読んで、ああ私は先天的に与えられた遺伝的体質(骨と腎系統がよわいリュウマチ体質)を知っていたのにもかかわらず、補うことを忘れ、無視して、自分の我を通して、自分の健康を見直すという努力を怠ってきた結果だと、始めて腑に落ちた。私の場合は、落ち込んだのも一瞬で、すぐにこれは自分で作った病気だから自分で治さないでどうするのさ。汚い表現だけど、子供だって自分のうんちは自分で拭くもの、大の大人が自分で治すの当たり前でしょうと、居直ってしまったので、そう言う性格に産んでくれた両親にはつくづく感謝するわけだけど、こうしてみると、自分の病気を自分で治そうとしない人、多いなー。病気は「生き方を変えよ。このままではあなたの体は持たないよ」と言っている。自分の先天的体質を知り、早くにそれを補うことをすれば病を回避することが出来るかもしれない。それも病名が付いてからでは遅いのだ…と。そのことを今度はお客様に伝えていくことこそが私の仕事なのかもしれない。
今日元気な私は、運転をしながら配達をしている。車の窓から、一斉に春の花が咲き出し、少しずつ桜の花びらも舞っている。悩みが無いわけではないが、こうして春の暖かい空気を吸い、きれいな花を目で楽しみ、これ以上何の幸せがあるのだろうという気持ちになる。普通のことー美味しく食べれて、笑えて、気持ちよくお風呂に入れて、友だちとおしゃべりも出来てーこんなに素敵なことなどないように思う。先日テレビで有名な学者が長生きの遺伝子サーツー遺伝子の話の中で「長寿の方は信じられないくらい楽観的である」と言ってる。真実のことはシンプル。長生きのコツはただ楽天的であれと言うことらしい。
最近ではさして信心深くない私が、必死に祈っている。家族のこと、具合の悪いお客様のこと。誰に祈っているのだろう、父なのか?神様なのか?でも不思議と願いを良く聞いてくれる。ずーっと父がそばで守ってくれていると思える。今年の父の日は黄色いバラを、父親として真正面から子供と向き合ってくれた主人に、東京の義父に、そして仏壇の父に、好きだったタバコ・ピースと一緒にプレゼントしたい。