春には春の暮らし方

内地では、もうとっくに春でも、釧路はやっと春の第一歩。
先日の日曜、釧路特有の春を告げる、霧・もやが立ちこめて、あたり一面ミルク色でした。こんな風景を見ると、「ああ、春が来たナー」と釧路の人は思います。私にが最後に父を見たのは、こんなもやの日の釧路駅でした。だからもやは父の想い出なのです。

最近ずいぶんジョキングや散歩をする方を見かけます。それにしても春の風はつめたくて、さぶいねー。

もうすぐすると、北国でもだんと暖かくなって、木や草がそろそろ芽を出し始めます。すると釧路の人はだんだんと体調が悪くなる。めまいがする・耳鳴りがする・風邪が治らず熱っぽい・鼻水が止まらない・体がだるいなど…。これはみんな春のせいである。

古代中国の人は、太陽の光が次第に増してきて、活動を停止していた冬の世界から、万物の生命力が再び旺盛に燃えそうとする時期を、植物が芽生える様で表したというわけです。

また春の陽気が体調にも影響することも古代中国の人は知っていました。陰陽論で冬から春に変わる時期は、陰気が少なくなり陽気が増え、その変化に体がついていけないことで変化が起こります。

特に日本の春は寒暖の差が激しく体調を崩しやすく、年で一番風が冷たく強い時期です。春には寒さに備えて厚くしていた皮下脂肪が薄くなりその下を流れる血管が広がって血液量が増え体温を放出する方向に転換していきます。このためホルモンの代謝にも変化が起こり血が騒ぎやすくなりイライラ感や精神的不安定になる方が増えてきます。

店頭でも、胃が張ったり、下痢と便秘を繰り返したり、自律神経の調整が追いつかず、膀胱炎になったり、風邪がなかなか治らなかったり。そんな時ご相談下さい。
 
春は緑の野菜と酢の物。あとは運動で発散。ストレスがたまりやすいので休息を心がけます。

      (和漢生薬研究所からの情報です)
 
 

植田さんちの生姜の佃煮

東京馬喰町の問屋に行く道すがら、もう何年も通っている道なのに、500円の値札が付いている写真立てのお店で足が止まった。

安さに惹かれてお店にはいると、60代の女性が店頭の炬燵の中から声を掛けてくれた。あれこれ話しているうちに「寒いからあなたもお入んなさい。」と暖かな場所に招いてくれた。

釧路じゃこんな事日常茶飯事でも、東京でこんなに親しく声を掛けてくれたのは始めてだ。

「昔は大きく鏡の卸をしていたけど今じゃすっかり寂れて…」と、写真立てや額に入れた絵画を販売なさっているようだった。

薬屋であることを話してからすっかり健康談議となり、植田さんの生姜の佃煮の話になった。北海道ではそう頻繁に牛肉は食べないのだが、東京では良く食卓に上るのか、「牛の安いところを買ってきて生醤油と水だけで、圧力鍋で生姜を煮るの。みりんもお砂糖も入れないの。」

思い出しながら、教えてもらって3ケ月も経って、やっと作ってみた。
生姜も牛肉もオバアが切ってくれた。生姜はどう切るもんやら、オバアは太い千切りにしてくれた。植田さんのは、皮付きのまま2〜3ミリの薄切りだったような気がする。

でもオバアの太い千切りの方が美味しいかもしれないね。

植田さんが言っていた。「もう何十年も作って食べているけど、もうこの生姜の佃煮以外におかずがいらないくらい、美味しいのよ。」

うんうん、おいしい。ホントそう。はまる。
又色々試しながら作ってみよう。植田さんは生姜だけでも良いと言っていたけど、やっぱり牛肉との相性が良いようですね。

ひょんな出会いから生まれた私の生姜の佃煮でした。皆さんも工夫して作ってみて下さい。私は生姜は大きめの国産のもの、4かけらくらいと、牛肉は適当。多くても少なくても美味しいと思います。

次回上京の折は、作って味見してもらおっと。
ああ、そうだ。植田鏡屋さんのところで、邪気をよける胸ポケットに入れる両面の鏡、置いてるかしら?今度聞いてみよ。
 
 

八朔が運んできてくれた春風

不思議なもので、皆さんもそうでしょうけど、元気でいるとそのことが当たり前。また、その元気がいつまでも永遠に続くような気がしてる。

ところが今回の私のように病気をしてみて始めて、今日もし出来ることであれば今日しなきゃ、と思うようになった自分がいて、そんなわけで、3月9日に青色申告も例年より早めに終わらせることが出来ました。かつてない爽快感。もちろんこれにはスタッフの大いなる手助けがありまして、放射線治療が2月の末までかかるようであれば到底青色申告を今までの調子では間に合わなくなるわけで、少しずつ叱咤激励しながらお尻を叩いてくれたというおかげさまです。で、昨日の土曜はここのところの寝不足でぐったりと疲れが出たせいか、明け方、まったくババの言うことを聞かない孫達をわーわー追いかけ回している夢を見て、また余計に疲れを感じて目が覚めたわけです。ずいぶん寝過ごしてしまった。

あわてて起きあがると、夫が「八朔が着いているよ」
大学時代の後輩、Mさんから。

ここのところずーっと年賀状のやりとりだけだった。きっと私の賀状の病気の事を心配して送ってくれたんだろうな。もうすっかり元気になったのに、心配させたり悲しませたりして申し訳ないという気持ちがいっぱいに広がった。八朔は春の和歌山の風景が思い浮かぶようなさわやかな甘みと酸味だった。友だちの心使いが身にしみた。

長々とお手紙を書きたい気持ちもありましたが、とりあず電話を。

「なんか、ズーッとご無沙汰しちゃったけど時々思い出してはね、いつも元気でいるようにとか、良い日を過ごしてくれるように祈っていたんだよ」。

やさしくなつかしい声が受話器から聞こえてきます。

「遠く離れていても思っている友だちがいると言うことを忘れないでね。でね、誤解されることを恐れずに言うんだけど、こうして町医者の受付をしていると、病人さんも色んな人がいてね、検査検査と自分の悪いところを捜してばかりいる人もいて、Kさん(ご主人のお医者様)は本当に悪くなってからでも検査は遅くないよという風に、うちの医院では言っているの。

病気というのはね、なりたくてなる人なんか一人もいないのね。そして病気というのは場所と時間を選んではくれないものね。もうすぐ娘のお産があるからと言って待ってくれようもないしね。

でね、その病気がその人に与えられたとき、誰もが苦しむんだけど、まずはそれを静かに受け止めると言うことだと思うの。

そしてその次はその人がどうしたら一日一日、楽になれるかを考えるのが一番だね。

私も自分がどういう事を思って生きてきたのか、子供達にはどんなことを言っておきたいか、毎日毎日顔を合わせても、時間が無いわけはないと言われても、なかなか面と向かって伝えることが出来ないけど、ガンの場合は色々と伝えたいことを伝えて、お互いの関係も修復する事が出来て、ガンという病気も消して悪くないと思っているの。

こんな事言ってごめんね。交通事故やや脳溢血だと、ある日突然に命が無くなって、伝えたいことも伝えられずに逝ってしまうけど、Kさん(ご主人)は死ぬならガンで死にたいって言ってるの。そしてね、自分の旦那をほめるのも何だけどKさんはもう何年も自分の患者さんと生と死の集いをずーっと続けているの」

そこまで彼女が静かに話す言葉を聞いているうちに、今まで自分の俄をとおして生きて来た自分だったけど、でもやっぱり苦しかったこともあって自分の中のなにもかもを吐き出したい衝動にかられて、だんだんと涙声になってしまった。

確かに病気をすると自分がどんな風に死んでいくのか、どんな風に死んでいきたいのかをはっきりと突きつけられる。

そこで見つけた答えは、誰もが平等に与えられた死という現実であれば、どうしたら迷惑を掛けず、悲しませず逝くことが出来るのか?どんなことをしても人に世話になり力を借りなければまた死んでいくことも出来ないとわかって、それであれば、そろそろと煙たがられた時期にコロッと逝くことが出来れば、それが一番。そう思うと死ぬこともそう悪くはない。

「イヤー楽しかった。はい、さいなら」

死ぬまで精一杯一生懸命生きればいいのだ。明日でも二十年後でも…。

「オケちゃんも(私の旧姓)色々と大変だったね。ねえ、今年和歌山に来ない?飛行機代だけ用意できたら、あとは全部迎えに行くし、うちに泊まればいいし、話したいことがたくさんあるし、高野山にもいってみようよ」そう彼女が提案してくれました。

高野山は霊的な場所と聞いている。病後、さほど信心深いとは思えなかった私が、気がつくと誰かに祈っている。それは死んだ父なのか、仏様なのか神様なのか、誰かわからない人にお願い事ばかりしている自分に気づいて、苦笑したりしてる私だけど、ここで高野山を訪れることも必然なのかもしれません。6月に入ると釧路から直行便も出ると言うこと。チャンスがあれば是非一度訪れてみたいと思いました。

彼女が送ってくれた八朔とともに届いた彼女の祈りと春の風でした。


 
 

もう3月。

前回書いてからもう1ケ月。私は青色申告モードに入っておりました。もうすぐできあがりそう。
なんだかんだ忙しい最中、どうしても見たくて映画「ドリームガール」行ってきました。時代背景が自分の好きだったシュープリームスとかダイアナロスと重なり、期待はふくらむばかり。で、思っていたよりはちょっと違ったかナー。同じような映画で「レイ・チャールズ」方が、シリアスに迫っていて良かったかな。エフィー役のジェニファー・ハドソンがテレビのインタービューで言っていたけど「イメージすることが出来ればそれは叶うわ」の言葉に拍手です。